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オシムジャパンもどうにかならんのかでは困る

■「どうにかならんのか……」と思うことはしばしばある。自分についても他人についても、そして社会の出来事についても。
 そして、昨日もあった。
 中央道相模湖インター付近で、一頭の鹿が発見された。事故になってはならないと、山梨県警高速隊員ら30人が、刺す又を持って捕獲にあたったが、お粗末としかいいようがない。これはニュース映像として流され、見ていてアホらしくなった。
 挙げ句、鹿は高架から飛び降りて逃げてしまったのだが、足の骨を折っているかもしれない。すると、鹿は長生きできない。
 問題は捕獲手段である。刺す又で勘単に野生の鹿が捕まるものか! どあほ!
 刺す又と網の併用ならよかった。麻酔銃という手もあったはずだ。そうすれば速やかに問題は片づいたと思われる。お粗末な捕獲劇で、高速道路は渋滞になっていた。
 間抜けな捕り物劇に辟易した。

■話は変わって今朝の朝刊。わたしは読売の編集手帳を読むのを日課にしている。
 今日は「やまいづかされる」というのが載っていた。
 これは悪口をいわれることを意味する。現代人はまず使わない。これを読んで、言葉とは社会が進むごとに死んでいくのだなと思った。
 わたしは時代小説をよく書いているが、忠実に江戸の言葉を使って書けば、まず現代人は読むのに難渋する、いやほとんど理解できないだろう。
 これは近松や、鶴屋の昔の戯曲を読めばよくわかる。今の言葉と江戸言葉はものすごい隔たりがある。おそらく大正と平成の言葉もずいぶん変わっているはずだ。
「きっとよ」とか「きっとだね」なんて、何とも情感のある言葉を使う人はかぎりなく少ない。「キモイ」という言葉。あまり好きでない。気持ち悪いを略してあるが、その他にも略した現代語が氾濫している。言葉は人を傷つけもするし、慰めもする。ときに発奮させもする。
 今一度言葉の重要性を考えた朝であった。 

■そして、今日はオシムジャパンとガーナ戦。
 期待をして日産スタジアムに足を運ぶが、ガーナはほとんどフルメンバーで臨んでくる。日本はホームという利点はあるが、果たしてどこまで通用するか楽しみだ。
 おそらく負けるだろうと思う。負けても情けない負け方はしてほしくない。万にひとつ勝ったら、大金星でスタジアムは歓喜の渦に包まれるだろう。わたしも声を限りに叫んでいるだろう。
 つまるところ、オシムジャパンも「どうにかならんのか」では、困るのである。
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by kingminoru | 2006-10-04 07:25 | 小説家(小説)