熊本城2
熊本城取材行。第2回目。
今日は、城の防備にを中心に説明しましょう。
まずは武者返しといわれる石垣。
写真を見ればわかるように、手前と奥では傾斜が違う。
右側の石垣の方が古い石積みの方法で、隅に同じ大きさの石を積み上げる「穴太積(あのうづみ)」と呼ばれる。
奥は長方形の角石を左右交互に積み、急勾配にした「算木積(さんぎづみ)」。
熊本城の石垣は「清正流(きよまさりゅう)石垣」「扇の勾配(おおぎのこうばい)」「武者返し(むしゃがえし)の石垣」などといわれる。
清正は穴生衆(あのうしゅう)と呼ばれる近江の石工集団を使い、この二様の石垣を造ったといわれる。
それは、石を叩いて積みやすく加工し、石と石の間には割り石を打ち込みより堅牢になるように、また手がかりを少なくし登りにくくする工夫をした算木積みと呼ばれる技法だった。*上の二枚の写真は熊本城hpより拝借。
しかし、敵がそんな石垣を這い登っても、最後にはこんな槍が待ち受けている。
そして、城には身を隠しながら鉄砲や矢を放つ「狭間」(さま)と呼ばれる小さな窓が無数にある。これは櫓や塀に設けられている。
長いものが矢を放つ矢狭間(やざま)、短いものが鉄砲狭間。
櫓の角や塀の途中に設けられた壁面の出っ張りが石落し。石垣を登ってくる敵に石を落とす仕掛けだ。
防備の堅牢さはこれだけではない。前回も紹介したが、「熊本城hp」より写真を拝借して説明しよう。
それが石段である。
段の高さと奥行きが変えてあるので、登るたびに歩幅を変えなければならない。敵にスムーズな進軍をさせない工夫である。
最後が闇り通路(くらがりつうろ)。
これは地下通路である。
そして、本丸御殿への正式な通路となっている。
さあ、次回はいよいよ本丸御殿に進んでみよう。
昨日の出来事を短く。
幻冬舎よりゲラが届く。
「研ぎ師シリーズ」第一弾増刷の知らせ。
本日より仕事再開。
by kingminoru | 2009-02-17 08:49 | 旅行