江戸水辺のエコーツアー
◆かくして、短い舟の旅ははじまった。
乗船したのは、上の写真のボート(写真ちっちゃ……)。
定員、12名。最高出力6馬力。巡航速度5ノット。
環境に配慮した排気ガスの出ない電気ボート。
写真は青だけど、乗ったのは赤いボートでした。
新三崎橋の防災船着場から乗船し、日本橋川を下ります。
河は濁ったように見えるが、実際はそうでもない。意外ときれいなのだ。
しかし、濁って見えるのは生態系が崩れているから、こんな色になっている。
それでも一時期に比べれば、相当ましになった。
以前は、ごみが浮かび、ヘドロが浮いていて、悪臭がしていた。
ひと目見て誰もが「汚ねえ。臭ッ」t、顔をしかめていた。
写真は俎橋です。江戸後期、神田川と日本橋川はつながっていなかった。しかし、いまはつながっている。
これが昔の日本橋川(日本橋の下流。小網町と南茅場町の蔵地です)
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すぐ上の写真は、江戸城への荷揚場跡。
江戸城お堀の石垣。
開幕当時、石垣造りは諸藩の大名らに課せられた仕事であった。各藩は自分たちがやった仕事だという証を、その石に刻んでいる。
常盤橋が近づいてきた。
河の上は、高速道路。どこへ行ってもそうである。
普段人の目の届かないところには、工事の痕跡がある。
石垣を壊して、そのまま放置してあったりするのだ。
石垣とは、江戸城の城壁の一部である。
高度経済成長期、日本人は歴史的価値のあるものを壊しつづけていた。
河川が汚れたのも、過去の遺産や自然への冒涜と暴虐である。歴史的遺物はこうやって破壊され、喪失してゆく。
すぐ上の写真は、説明するまでもないか。日本橋ですね。
この上も高速道路が通っている。まわりはビルばかり。
昔の面影……。
そんなもん、ありゃしません。江戸時代の人が見たら怒りますよ。
だから、下に日本橋を載っけておきます。
亀島川です。写真の右が八丁堀、左が霊岸島。
奧に見える橋が霊岸橋だと思うが……(きっとそのはず)。
湊橋です。
拙作「剣客船頭」シリーズの3作目『妻恋河岸』では、この橋の上に佇む女がいます。愛する夫に思いを馳せ、我が身の不幸を噛みしめているのです。
そこへ、主人公の沢村伝次郎が通りかかって……。
ま、あとは作品を読んでください。
日本橋川の河口に架かる豊海橋。右奥に見えるのは永代橋。
水は満々としている。このあたりは汽水域である。
海の魚と川魚が同居している。潜って見ればわかるはず。釣りをしてもわかるか……。
これが本所深川と日本橋をつなぐ永代橋。昔の長さは120間ほど。いまは?
昔は、こんな情緒のない橋ではなかった。大きく湾曲して、木の橋脚がそれは見事に支えていたのです。
まるで昔を知っているようではないか……。その辺は貧しい知識からですので、あしからず。
それですぐ下が昔の永代橋。
これは観光用の遊覧船です。
われらが乗っていた舟は小さいので、ずいぶん波を受けて揺れました。それにしてもかっこいい船。
でも、環境への配慮はあまりしてなさそうだ。飲食も自由のようだしね。
わたしたちが乗った船は、飲み物のみOK。アルコールはだめ。
窮屈だと思うが、飲み食いしている場合ではない。
船頭(案内人・船長・じつはNPO法人の方)の話に聞き入り、感心することしきりなのだから。
この川もたびたび、わたしの小説に登場してくる。
江戸と行徳をつなぐ小名木川。
河口に架かるのは万年橋。左の公園は松尾芭蕉の住まいだったところ。
それにしても味気ない。ああ、味気ない。
だから、昔の小名木川と万年橋を。
これが時代小説や落語やドラマで大いに利用される大橋(両国橋)。
味気ねえーと思うのは、わたしだけではないはず。
もっと情緒ある橋を作ってちょうだいよ。奧に見えるノッポのタワーは説明するまでもないか。
ついでといっちゃなんだが、やはり両国橋はアップしておかないとまずいね。
すぐ下の画像ですよ。
いよいよ神田川に入る。
まず最初に架かっているのが、柳橋。
もう、感想をいうのはやめよう。
でも、少しだけね。
右側が花街だったのです。左が両国の広小路があったところ。
両岸には船宿がありました。左の船宿には、「山谷舟」専門もあったそうな。
これは吉原行きの猪牙舟のこと。
柳橋の画像は小さいけれど、参考のためにアップしておきましょう。
では、遡りましょう。
これは、かなり江戸期の屋形船に近いはずです。
貴重な船なので、あまり利用されていないとか……。
写真から神社の名は読めますね。
いまはどうか知りませんが、富士塚がありました。わざわざ富士詣でと称して富士登山しなくても、江戸府内にはいくつもの富士塚があり、庶民はそこで富士詣でをすましていたのです。
この神社の左右は、柳原土手。
昔は柳がずらっと並んでいたんです。
その土手下には古着屋がたくさんあったそうですよ。
交通博物館の煉瓦壁。いま博物館は埼玉に引っ越したんですね。
もちろん、こんなものは江戸期にはなかった。あたりまえか。
丸ノ内線が走っています。左がお茶の水ですね。
船は地下鉄の下をくぐるのです。おお、不思議な体験、なーんちゃって。
聖橋ですね。
江戸期にあったかって? ないない。全然ありませんでした。
このあたりはかなり風光明媚……といっていいかどうかわからないが、少しほっとした。
この公園の向こう奧に昌平坂の学問所があったのです。
浮世絵だとこんな感じでしょうか。
さらに神田川がいまと大きくちがうのは、ずっと浅かったということである。
下の画像をご覧あれ。
こうやって、短い舟の旅は終わったが、行政のいい加減さというか、やり方に腹が立った。
河川のところどころには防災用の船着場があるが、普段は鍵がかっていて利用できない。いざとなったときには、その鍵は誰が開けるのだ?
それに、海が満潮になったとき船の航行ができない。なぜかって、橋に頭がぶつかるからです。ぶつからない舟だと小さな釣り舟程度か……。
すると災害時には、舟は役に立たない???
船着場は意味をなしていない。税金の無駄遣いである。
また、水辺の景観と、水上から見た街作りもこれから考えるべきことだと思った。
あまりにも橋は無頓着に造ってある。いまのデザインはだめですね。
機能性と美的センスのある橋と、水辺造りを望む。
短い取材は、編集者三人と写真の作家で実施された。
左から芦川淳一氏、わたし、坂岡真氏。
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by kingminoru | 2012-04-29 07:35 | 旅行