長いので心して読むべし
■その老婆は腰がひん曲がっており、大きなバッグをずるずる引きずりながら、漂う風のように歩く。フリルのついた真っ白いドレスを着ている。喜怒哀楽をなくした無表情な顔は、歌舞伎役者のような白塗りで、少々薄気味悪い。
彼女は戦後から横浜の中心街、伊勢佐木町や福富町に立つ街娼だった。生い立ちやその経歴は謎に包まれたままだった。年老いても彼女は横浜に住みつづけた。
「横浜メリー」――人は彼女のことをそう呼ぶ。
そして、ある日突然、メリーさんは横浜から姿を消し、伝説の女になった。
『ヨコハマメリー』――という映画は、そのメリーさんのドキュメンタリーだ。個人的にはもう少しメリーさんに突っ込み、謎だった部分を解明してほしかったが、映画自体はそうなっていない。
しかし、ぼくはこの作品に登場してくる元次郎というシャンソン歌手に注目した。京浜急行日ノ出町駅のそばにある『シャンソニエ』という店の経営者でもある彼は、子供のころ母親と生き別れている。
元次郎さんはメリーさんを見かけるたびに、彼女に自分の母親像を重ねていた。そして元次郎さんのリサイタルをメリーさんが見に来たのをきっかけに、さらに親近感を増す。
しかし、メリーさんはどんなに親切をしても、どんなに話しかけても決して自分の心を開くことはない。他人とは一定の距離を保ち、それ以上踏み込ませないようにしていた。それでも元次郎さんはメリーさんをそっと見守っていた。
ところがメリーさんは忽然と横浜から姿を消してしまう。そして、一年二年と月日が流れてゆく。当然、元次郎さんの思いも日々薄れていった。
ある日のことだった。元次郎さんはふとしたことで、メリーさんが故郷に帰っているのを知るのだ。以来、彼は小遣いや必要と思われるものを送りつづけた。施設にメリーさんが入ったのを知ると、今度はそちらに送りつづけた。
彼は当時癌に冒されていたが、メリーさんのことを決して忘れることはなかった。彼の行為は偽善でも慈善でもない、ただ単に母親と重なるメリーさんが楽しくあればいい、幸せであればいいという純粋な思いだけで、なんの見返りも期待していなかった。
施設から元次郎さんに丁重な礼状は届くが、メリーさんからの返事はなかった。しかしある日、思いもしない手紙が元次郎さんに届く。
メリーさんからのものだ。しっかりした文章で達筆でもあった。自分のことなど覚えていないだろうと思っていただけに、元次郎さんは感激した。メリーさんはあの厚い白塗りの下から、ちゃんと自分を見ていてくれた、忘れていなかったのだ。手紙を読み進めるうちに、涙が溢れて止まらなくなった。
手紙には出合いから、横浜で受けた親切、郷里に帰ってから送ってもらった物への感謝の念がこと細かにしたためられていた。
この映画を観て、やはり人間はやさしくなければならないと思った。
元次郎さんはついに病魔には勝てず、二年前に他界した。
by kingminoru | 2007-02-21 09:00 | 映画